「ちまき」の世界は奥深い
粽(ちまき)は春秋時代にはすでに作られていたと言われています。
春秋時代と言えば紀元前8世紀から紀元前5世紀ごろ。はるか昔です。もともとは神様へのお供え物だったようです。
端午の節句にちまきを食べる習慣は晋代(3世紀から5世紀)に始まったそうです。
日本でもちまきと言えば端午の節句ですね。
ちまきの起源については伝説があります。
楚の愛国者であり詩人としても有名な屈原(くつげん)が汨羅江(べきらこう)で入水自殺したときに屈原の死体が魚(竜という話もあります)に食べられないように民衆が米の料理を汨羅江に投げ入れました。
この米の料理がちまきの起源だというのです。
屈原とちまきの伝説にはいくつものバリエーションがあります。
中には植物の葉で米を包むという調理法は屈原が自殺ではなく布でくるまれて河に投げ込まれた他殺であることを暗示しているという陰謀論もあるくらいです。
とにかく現在でも中国でちまきといえば屈原、屈原ゆかりの食べ物と言えばちまきなのです。
ちまきの中の具材
ちまきに何を入れるか。これは大問題です。
具材が違えば同じ「ちまき」と言っても全く違う味の料理になるからです。
現在の中国では北方ではナツメを入れることが多いと言われています。これを「棗粽」と言います。読んで字のごとしというやつですね。
南方では具材のバリエーションが豊富です。
もともと中国は北方は小麦粉文化で南方は米文化です。南方のほうが米料理に関しては創意工夫が盛んだったのでしょう。
南方の具材の代表的な例はハム、肉、卵黄、アズキあんなどです。
卵黄と聞くと意外かもしれませんがこれは塩漬けにした卵の黄身です。中国では月餅の中に入れることもあります。
さらにクリ、松の実、ハスの実なども使われます。
広東ではエビ、貝柱の干物から作られる具が入ることもあります。
またシイタケやタケノコから作られる具材も美味です。
ちまきの米
現在のちまきはもち米で作りますが昔はふつうの米で作っていました。米にアワを混ぜて作ることもあったようです。
明の時代にはちまきはもち米で作るようになっていました。
漢方のバイブル・李自珍の『本草綱目』に「最近はもち米で作る」と書いてあります。
このように『本草綱目』には中国の食の歴史も記録されているのです。
昔の西安ではもち米だけでちまきを作り、冷やした後で糸を使って薄切りにして砂糖漬けの桂花と蜂蜜をつけて食べる「蜂蜜涼粽子」があったそうです。
現在のちまきはもち米に茶などで香りづけをすることもあります。薄荷の汁で香りづけをするケースもあるようです。
もち米自体に砂糖で甘みをつける場合もあります。
甘いちまきが多いのは中国のちまきの特徴のひとつでしょう。特に北方では甘いちまきが好まれると言われています。
日本にも「おはぎ」があるのでもち米と甘い味の組み合わせには違和感はないでしょう。
ちまきの薬膳的な性質は?
もち米のサーマルタイプは温性です。
もち米の功能は補中益气、健脾養胃です。大雑把に言えば「気」を補う食品です。
「気」には様々な働きがあります。そのため気が不足すると心と体にさまざまな変化が現れます。
「気」が不足したときに現れる変化のひとつに汗があります。
気が不足すると特に体を動かしたわけでもないのに汗がたくさん出ます。この現象を「虚汗」と言います。
もち米は気の不足を改善しますが特に「虚汗」を改善する作用が強いとされています。
砂糖には「陰」を補う作用があります。
甘いちまきには汗を抑えると同時に汗で失われた陰(津液)を補う作用があります。
また気は陽に属する生命エネルギーなので砂糖によって陰が加わると陰陽バランスのよい料理になります。
さらにアズキの「あん」が入ると補った陰が停滞しないように「めぐり」を促し循環させる作用も加わります。
「おはぎ」にも言えることですが昔から食べられている料理やおかしには薬膳的に深い意味が隠されていることが多いのです。