中国の豪華料理「八珍」の由来

中国の豪華料理「八珍」の由来

中国の豪華な宴会には「○○八珍」という料理が出てきます。八珍というのは8種類の宮廷料理なのですが、その8種類の料理がどんな料理なのか一定していません。

どんな料理が出てくるかは時代によっても違いますし今ではレストランごとのオリジナル八珍があります。

では元祖八珍はどんな料理だったのでしょうか?

最初に「八珍」という言葉が出てくるのは『周礼』という古文書です。

ですから最古の「八珍」は「周八珍」と呼ばれています。

『周礼』によると「八珍」を作るのは食医の仕事でした。つまり八珍は薬膳的な意味をもつ宮廷料理だったと考えてよいでしょう。

そうなるとどんな料理だったのか気になりますね。幸いなことに8種類の料理の名前は記録されています。

その名前は「淳熬、淳母、炮豚、炮牂、搗珍、漬、熬、肝膋」です。

字を見ただけではどんな料理だったのかわかりません。ところが食材や作り方についてのかなり詳しい記録が残っているのです!

淳熬(じゅんごう)

淳熬は「ミートソースかけご飯」です。

この場合のミートソースは保存できるように加工された肉を炒めたモノだったようです。

肉は発酵していたと思われるので、もしかするとクサヤのような強烈なニオイがしたかもしれません。

ご飯に肉の旨味と脂がしみこんで非常に美味だったに違いないと論評する中国人もいます。

中国にはご飯におかずをぶっかける「盖澆飯」という庶民的な料理があります。中国では青椒肉絲でも番茄炒蛋でも何でもぶっかけます。下の画像は青椒肉絲盖澆飯です。

日本にも「どんぶり」料理がありますが「盖澆飯」は中国人にとっての「どんぶり」料理に相当すると言ってよいでしょう。

中国人に言わせれば淳熬は「盖澆飯」の元祖であり「盖澆飯」と同じように「うまくない理由がない」そうです。

日本人的な感覚から言えば、ご飯に調理した肉を載せるのですから淳熬は「牛丼」の元祖的な料理です。やっぱり「うまくない理由がない」という結論は正しい!

淳母(じゅんぼ)

淳母は淳熬と非常によく似た料理です。

淳熬のほうは「ごはん」にミートソースをかけるのに対して淳母はコーリャンにミートソースをかけます。それだけの違いしかありません。

現在の中国ではコーリャンは高級食材ではありません。米と比べると一段落ちる食材とみなされていると言ってよいでしょう。

ただし薬膳的に言えばコーリャンは滋陰養血、健胃除湿、益腎補虚などの効能を持つすぐれた食材です。

米ばかりではなくコーリャンも食べるという献立はいかにも「食医」が考案しそうな感じですね。

炮豚(ほうとん)・炮羊(ほうしょう)

炮豚はブタ一匹をまるまる使うかなり手の込んだ料理です。

まず内臓を抜いてナツメの実を詰めます。そのブタを葦で縛りその上から泥を塗ります。そうして準備したブタを強火で焼くわけです。

この調理法を当時は「炮」と呼んでいました。

「炮」が終わったところで肉を良く洗います。そして表面に米の粉を塗り、動物の脂で満たした鍋に入れて低温で三日三晩あげるのです。

「低温であげる」方法も手が込んでいます。

ブタが入った鍋をさらに巨大な鍋の中に入れます。外側の大きな鍋のほうには水を入れます。そして外側から熱を加えると脂の温度は100度以上には上がらないわけです。

三日三晩も加熱すればきっとナツメはジャム状になっていたのでしょう。その果汁がブタの肉にしみ込んで滋味あふれる料理になったのではないかと想像しています。

この料理をブタではなく羊で作ると炮羊になります。

中国では古来より「肉」と言えば羊です。今でも羊は一般的な食材です。羊の消費頻度は日本よりも格段に多いのです。

中国文明は北方の寒い地域が発祥の地だと言われていますから羊という補陽作用がある食材が好まれたのは薬膳理論的にはうなずける話です。

搗珍(とうちん)

搗珍は牛肉、鹿肉、羊肉などを叩いてペースト状にしてスジを取り除いた食べ物だそうです。

ただしどのように食べたのか詳細は謎です。

肉を叩いてペースト状にする調理法は現在の中国にもあります。

肉団子を作ることもありますが、肉のペーストをワンタンの皮に練り込んで使うこともあります。

搗珍を作るときは今でいうサーロインに相当する部分を使うことになっていたようです。

そのまま食べてもおいしい素材を原型がわからないほど加工する。

このあたりは日本人の感覚からすると蛇足としか言いようがありませんが宮廷料理というものはシンプルではいけないのでしょう。

漬(し)

漬は薄切りにした肉をひと晩酒に漬けておいて、さまざまな調味料で味をつけて食べる料理です。

昔の中国ではこのように生に近い料理も作られていたようです。

現在の中国では生肉を食べることはめったにありません。

長い食の歴史のなかで生肉を食べると病気になりやすいという知恵が共有されるようになったからでしょう。

日本人は獣肉をあまり食べませんでしたし海の魚は生で食べても大丈夫なことが多いので生食文化が定着したのでしょう。

食文化は病気と無縁ではないんですね。

熬(ごう)

熬は現在のビーフジャーキーに相当する食べ物です。

ショウガ風味やシナモン風味のものがあったそうです。

ビーフジャーキーというと欧米の食品というイメージがあると思いますが中国にはこの手の食べ物があふれています。コンビニにもたくさんあるのでかなりの需要があるようです。

現在の中国にはトウガラシやサンショ風味(つまり四川風)のものが多いのですが紀元前の中国で作られていたショウガ風味のものがおいしいのかどうか気になりますね。

肝膋(かんりょう)

肝膋はイヌのレバーを腸の脂肪で包んで焼いた料理です。

中国にはイヌを食べる食文化がずいぶん昔からあったようです。そう言うと今でも一般的な食材だと思う人もいるかもしれませんが、ブタや羊と比べるとかなりの地域性があるようです。

上海ではイヌの肉は滅多に食べませんし市場やスーパーなどでもイヌの肉を売っていることはほとんどありません。

イヌは多くの本草書に補陽食材として掲載されていますから昔の中国ではわりと一般的な食材だったのだと思います。

トンカツを食べるにはキャベツが必須です。それと同じように肝膋とペアになる料理があったそうです。それは粥です。その粥の具に珍しい食材を使います。

オオカミの胸の部分に脂肪があるそうです。その脂肪を刻んで粥に混ぜたそうです。イヌとオオカミの料理をセットにしたのには何らかの意味があったのでしょう。

八珍はどれも肉料理です。

食医は八珍の他にも六食、六膳、六飲などを作っていましたから、全体でバランスがとれるように工夫されていたのだと思います。

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